◆ 第38回研究会 概要

講師:望月 重先生(武蔵工業大学名誉教授)
テーマ:「私にとってのサルバドリー」と「ワイドリンガー・アソシエイトの発展」

私にとってのサルバドリー
ユダヤ人の母をもつ生涯で、1939年にアメリカに亡命。その後コロンビア大学に職を得へ、50年間コロンビア大学で教育に従事。ベストティーチャー賞も受賞している。サルバドリーの教育は定性的な解答から定量的な解答に移る巧妙な説明には感心する。
加えて、1987年にSECBE(Salvadori Educational Center on the Built Environment)を発足させ、ボランティアで子どもへの教育にも熱心であった(http://www.salvadoricenter.org/)。
サルバドリーはマルチタレントで、
・音楽:8歳で音楽学校にはいる
・登山:27の新ルートの開拓と3つの処女峰の登頂
・美術:3つの贋作をみつけた
など多趣味であった。
サルバドリーの著書は数学関係が5冊、構造関係8冊を数える。
サルバドリーは、広い視野の教養に根ざした直観と視覚に訴えて、建築を技術と芸術の結晶と捉えていたと考えられる。
サルバドリーは、1997年6月25日に90歳で他界した。

サルバドリーの語録
「素晴らしい建物をつくるには、直観とそれに匹敵する知識が必要」
「教育は知性の訓練である」
「美は必ずしも正しい構造からは生まれない」

ワイドリンガー・アソシエイトの発展
1945年、ワイドリンガー(48歳)とサルバドリー(54歳)の時に設立。
1970年代には、所員数は60名程度で、1/4は応用力学・研究部門であった。
現在の所員数は220名くらいで、技術者が170名、構造部門が100名くらい。アカデミックな体質を継承した、プロフェッサー・アーキテクトエンジニアの集団といえる。
ワイドリンガーの黄金時代は、1990年代までで、現在は創造性と芸術性が欠けてきたきらいがある。これは所員数の増加、パートナーが4人から20名に増えたためか、経済性が優先されるようになったためか。

ワイドリンガー・アソシエイトの主な作品
・CBSヘッドコートオフィス(1964年、サーリネン)
・USスチールコーポレーション(1972年、SOM)
・ランベル銀行(1964年、SOM)
精密機械のようなディテールをもつ。プレキャストRC造、9階建て。柱を階の中間でピンで結合している。
・リーダースダイジェスト東京支社(1951年、レイモンド&ラド)
中心の柱で床を支えているような構造で、日本で物議をかもした作品。柱は中心だけでなく、床にピン接合されたS造柱もあった。
・Mebac劇場(1959年):空気膜構造
・カント・フランシス・デ・セール教会(1966年):HPシェルを壁に使った作品
・FLAIR海上空港(1970年、防衛解析研究所):RC造の浮き構造
・ジョージアドーム(1992年):大空間構造、テンセグリ構造

ワイドリンガー・アソシエイツは挑戦の歴史であった。施主から直接仕事をとっているので、200人以上の所員を抱えることができるのではないか。日本は建築家の下に構造が入っているので、構造に魅力がなく、学生に人気がないのではないか。

(文責:高山峯夫)

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