◆ 第40回研究会 概要


講演する渡辺氏

朱鷺メッセの全体写真
開催日:2004年8月18日(水)
講 師:渡辺邦夫(SDG)
テーマ:「朱鷺メッセの真相にせまる」

渡辺氏が設計した朱鷺メッセ連絡ブリッジの自然崩壊から1年が経過した。事故原因の究明をしているのは、今やSDGと黒沢建設くらいしかない。新潟県の協力が十分得られないため、はっきりしたことが言えるのは更に1年くらい必要のようだ。

朱鷺メッセには崩壊したブリッジと同様のものが他に2つあった。崩壊したブリッジは佐渡汽船との連絡ブリッジであり、5スパンの内の1スパンだけである。

連絡橋の構造は、基本的にはトラス構造であるが、1部に斜材が無いところができている。そこで、斜材(PC鋼棒)に初期張力を与えることで、ブリッジの撓みを抑え、かつPC床版に発生する曲げモーメントも小さくできる。これを渡辺氏は「吊り型トラス構造」と呼んでいる。
事故調査委委員会は、この構造形式は前例がないこと、設計規準もないことを理由に、新しいことをやることが悪いといった態度を示されたことには閉口したとのこと。

SDGは県と直接設計契約を結んでいない。また、SDGと槇事務所は監理に入っていない。
設計委託の期間と工事・監理の契約期間が重なっている。設計も決まっていない段階で、どうやって見積もりをしたのか理解できない。(地方都市などではこういったことが日常化しているとも聞いている)

5スパンで設計したものを、4スパンで工事発注された。県側に補強することを提案したが、4スパンで工事が進んだ。工事の最後にジャッキダウンした際に撓みが大きくなったので、大至急補強をした。完成した4スパンのブリッジに関して撓みの計測をSDGが独自に行ったが、その時点では特に異常は見られなかった。そして、1年半後、5スパン目の工事に入った。

そして、2003年8月26日にブリッジは自然崩壊した。

事故調査委員会の構成を見たとき、関係者が集まって真相を解明していくことの難しさを感じた。崩壊のきっかけとなった主な原因としては、
@ロッドの定着部が破断
A鉄骨梁(R27)の破断
が考えられる。事故調査委員会は@の考えを採用し、それを立証するための検討を進めた。途中で考えを変えることは無かった。しかし、事故調査委員会の崩壊シナリオは、工学的に立証されていない。
SDGでは23通りの解析を行い、崩壊形に一致するのはAを原因とするしかなかった。この結果を県側に提出したが、それに対して議論する機会はなかった。Aの原因説を裏付けるためにも鉄骨破断部の試料を貸してもらうよう県に申し入れているが、何も連絡がない。


連絡ブリッジの崩壊状況(渡辺氏の配付資料より転載)

今年の4月に残存ブリッジを取り壊すと聞いたので、新潟地方裁判所に証拠保全命令を出してもらえるよう準備をしていたが(いろいろと弁護士に相談したが、直接裁判所に行って相談するのが一番早くて簡単だったとのこと)、県は命令が出る前に「実験」を許可した。ただし、費用として800万円を県側に支払うことで。
6月に現場実験を実施。種々の制約のため、PCロッド定着部の耐力だけを測定することにした。事故調査委員会の報告書ではひび割れ耐力を40tonとしているが、実験では95tonの張力(油圧ジャッキの能力限界)を与えても0.08mmのひび割れしか発生しなかった。

現在は、ロッド定着部の耐力実験を日大の協力を得て実施中。今後も鉄骨部の破断についても調査を継続していく。

事故の教訓:
・事故調査委員会とSDGの対立関係が大きくなり、両者間に溝ができた。第三者の調査機関が必要であったが、JSCAも建築学会も非協力であった。
・なぜ、落ちたのか? 本質的な議論はできていない。この原因を解明することを第一の設計者の責任と考えて行動している。
・構造設計者の職能や社会的責任について、社会・マスコミには認識されていない。単なる計算屋としか思われていない節がある。
・本来、JSCAは会員を守る立場にあるのではないか。会長は早々に幕引きをはかった。会員になっている意味がないので、JSCAを脱退した。社団法人になんかにしないで、構造家懇談会のときの方が良かった。

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よく言われることであるが、日本では責任追及に重きがおかれ、事故の真相を究明するという姿勢に欠けるようである。今回の崩壊事故についても、本当の原因は何か、設計・施工・監理・発注システムなどのどこに問題があったのかについて、責任論をひとまず置いておいて、率直に議論できる場(この様な場として、日本建築学会は最も適切であるように思うが)を用意する必要があったのではないか。そうしないと、今回の事故の教訓は全く活かされないことになる。
この1年間、渡辺氏は真相を究明することに全力をあげてきたといえる。研究会の参加者も渡辺氏の努力に敬意を払っていた。今後、その努力が報われることを祈っている。

興味あるテーマであったらしく、今回の参加者は通常の2倍にあたる60名以上であった。研究会終了後の懇親会には28名の参加があり、渡辺氏を囲んで大いに盛り上がっていた。

(文責:高山峯夫)

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