日時:平成18年5月29日,日本大学理工学部1号館会議室
講師:村上處直先生(防災都市計画研究所)
テーマ:災害・その超常識の世界
概 要:
最初は音響問題に取り組むつもりだったが、東京大学の高山英華研究室で防災をやり始めた。
1964年に発生した新潟地震は、我が国の近代都市が初めて経験した新たな形態の地震災害だった。この災害調査を契機 として、防災に関わる有識者チームと国・地方公共団体の行政官が協力して、都市防災・災害対策に関する各種の共同プロジェクトに取り組むようになった。四日市市臨海部防災計画を策定したのが、最初の計画だった。
防災都市計画研究所を設立した翌年に恩師である高山先生が東大を退官された。高山先生とは20年間くらい一緒に仕事をしてきた。先生から、誰にでもできない仕事だったら手伝うけど、誰でもできる仕事であれば手伝わない、と言われた。防災というみんながやらない仕事をやってきたから、今がある。
関東大震災の被害は、東京の建物の被害はそれほどでなかった。逆に言えば、建物がたっていたから燃えやすかった。防災とか防火の問題というのはなかなか一筋縄にいかない。
新潟県中越地震。建物内の重いテーブルが数十cmも浮きあがった。しかし、建物自体は被害がない。直下の地震では、振動とものの壊れ方の関係もよく分からない。地震直後の建物被害判定は外観だけで判定するだけでは十分ではない。阪神大震災の時の死亡時刻に判定についても、地震直後に死亡した人の割合が多いと言われているが、死亡時刻の定義などがはっきりしていないところもある。
ニカラグア地震。建物は被害があったが、街にオープンスペースを確保することで災害時の対応を容易にする。公園、空き地、道路とのつながりが重要となる。
建物が壊れても人命を守ることができれば良いという視点に立てば、もっと耐震の考え方もいろいろできるのではないか。壊れた建物がいつ潰れたか、どうやって潰れたのかを調べたり考えたりするのが大切。建物が潰れても容易に助け出せるような構造も重要なのではないか。耐震とはどういう意味か。骨組が壊れないのが耐震なのか。潰れないことだけが耐震ではないのではないか。
災害が起こったときには現場が大切。現場をうまく動かすには、担当者に権限を与え、その判断に問題があった場合には上司が責任をとるようなシステムを構築する必要がある。しかし、日本では災害の翌日から従来の組織・制度で動いている。自衛隊が水(真水)をもっていった際、役所の水道局が給水か、排水か、と聞いたらしい。給水でないと水とみなさない(日本的な)官僚的体制では災害に対応できない。
メキシコ地震。災害救助の際には、音が問題。潰れた建物の中にいる人は捜索隊の声は聞こえるが、埋まっている人の声は届かない。サイレンやヘリコプターの音は迷惑でしかない。
1906年のサンフランシスコ地震では震災復興都市計画はなかった。早い復興をすることが大切。サンフランシスコ地震では、建物の規制(設計荷重)を緩くして早く建てるようにしたこと、道路を広くしたこと、特別耐震消火栓を設置したこと
大事なのは建物の側にオープンスペースがあるかどうか。例えば超高層マンションなどエレベータが止まってしまい居住者が避難してしまうと、盗難が増える。オープンスペースがあって住民がみんなで監視できるといいのだが。
文責:高山峯夫
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